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     ひらめきは命がけで・・・

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投稿者 スレッド
monoru
投稿日時: 2009-9-7 14:17
管理人
登録日: 2008-4-5
居住地:
投稿: 9
ひらめきは命がけで・・・

「ひらめきは、命がけで守れ」と、先日TVである有名な方がおっしゃっておりました。学校教育では絶対に手に入らないモノがこの世界にはあるのですが、
この「ひらめき」という感性もその一つではないでしょうか。
そういう意味で、印象深い言葉でした。

ということで、今回は別なキーワードで表題を書きましたが、実は「一人ぼちの旅行」の続編です。
やはり、思ったとおりアクセス数は伸びないのですが、自分の中で整理をつける意味で続編を書きとめることにしました。

高校一年時の文章ですし、へたですし、つたない文章なのですが、私はこの文集を先日数十年ぶりに読み返したときは、涙が流れ出し、一気にあの当時の私に戻ってしまいました。
あの時は、父も、兄も、まだ生きてたんだなぁ・・・、なんて。

ああ、そうそう、前回書き忘れたのですが、この旅行記は、あの東京オリンピックの前年の出来事です。古い話ですみません。

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「一人ぼちの旅行-2」


(写真は、初めてテントを建てた千葉県の富津海岸で)

【出発】
7月31日、天気は曇り。僕は朝から雨が降らないように祈った。
今日の真夜中に出発の予定だからである。
朝から体が多少震えてくる。
オートバイにはガソリンを満タンにしておいたし、用意だけは念入りにやったから安心だった。
夜、父から汽車賃や食事代として3千5百円を頂戴した。
「5日間位なら十分だろう」というのである。
少ないのは当然だった。いくらでも持って行きたかった。これではガソリン代にしかならないのは直感で感じた。
だが、何もいう言葉が見つからなかった。
そこへ、母が「何かの足しにしろ」と言って3百円を出してくれた。
私は、僕の気持ちが通じたのかと思い、わずか3百円でも嬉しかった。
そして、「疲れるといけないから早く眠れ」という。
何だか両親を裏切るのは変な気持ちである。
でもそのような気持ちは、出発前の僕にはどうすることもできない。せめて心の中で「母さん心配いらないからね」とつぶやくぐらいが精一杯だった。
僕は用具をもう一度点検してから寝床に普通どおりに入った。
時計は10時半を少々回ったところである。
これから出発予定の夜中の2時までは眠ったふりをして起きていなければならない。それがまた大変なことはすぐに感じた。
とにかく睡魔がリズミカルにおそってくるのだった。
ここで眠ってしまったら、これまで計画してきたことが一瞬にして崩れ去ることになる。それだけは避けたいと、僕は大きな眼を開けて天井を眺めつづけた。
同じ部屋に眠る二人の兄たちのここちよい寝息が聞こえてくる。
気が付けば、僕の眼は閉じているのだった。
これではいけないと思った僕は、眼を大きく開き、まだ見ぬ箱根の光景や、伊豆半島の海の青さを横目にオートバイにまたがり走る自分の姿を想像することにした。
それは良い考えだったらしく、眠気がすうーっと消えるのだった。
そろそろ2時。
僕は手の届くところに置いていた靴下を寝床の中ではいた。
気付かれはしないかとドキドキとしてくる。
それからそっと寝床から抜け出し、用意していた衣服を身に着けた。
そして、昨夜書いておいた置手紙を机の上に置く。
それからふすまを静かに音を立てないように開け閉めして、どうにか部屋の外に出た。
廊下や階段も静かに歩き、どうやら外に出ることも成功したようだった。
外に出た僕は、これからが本当のスタートだと思うと、体が引き締まってくるのだった。昨夜外に鍵を挿したまま隠しておいた80ccのオートバイに荷物をくくりつけると、時刻は2時25分。思ったとおりの好成績である。
そして、オートバイのエンジン音が家に聞こえない位置までバイクを押して歩き、それから一気にエンジンをかけると、2時30分ちょうどに我が家を後にしたのだった。
空には星もなく、真っ暗闇が広がっていた。
上山の町並みの街灯の灯りだけが、僕の行く手の道路を照らしていた。
僕は眼に入る全てのものに挨拶をした。
「おい、俺が無事に戻ってくることを祈ってくれよ」「また逢おうぜ!」
そして、何故か引き返して八幡神社に参拝し、上山市内に自分のバイクの音だけを残しながら、金も少なく、取り立ての免許証を手にして、16歳の僕はまだ見ぬ町へと旅立ったのだった。

【寒い!】
福島市から青森まで走る国道13号線は舗装されていて快適な旅立ちなのたが、受ける風の寒さがこんなに寒いとは計算外だった。
上山市の中山地区を過ぎ、赤湯まで来た。
あまり寒いので、赤湯の町の街灯の下で、バイクを止めて服を一枚取り出しそれを着た。これで上が5枚、下が2枚である。
「ちくしょう、ももひきでも持ってくればよかったなぁ」
と独り言をいってしまう。
手も軍手をつけているが感覚がなくなるほどに冷たい。
スピードを出すほど風が強く当たり寒いので、40kmほどのスピードで走った。
空はどこまで行っても暗く、道路には人影すら見当たらなかった。
時おり大型トラックと行き交うのが心強く感じられる。
2時間くらいで米沢市内に着いた。
時刻は4時半を指している。
「家の人はまだ気づいていないだろうなぁ・・・」
と思いながら、米沢市街を出ると、だんだんと細い道になってきた。
これが国道? などと不安にかられながら僕はバイクを走らせた。
空がうっすらと明るみを増してきて、まもなく夜明けの近いことを告げている。
目の前に山が迫ってくる。道も悪くなる。それに登り坂が続くようになった。
細い道にカーブが多くなり、ところどころ未舗装の道路があり、とても国道とも思えない道がつづく。(注:当時は栗子トンネルはまだありませんでした。)
どこまで走っても同じ道を走っている錯覚にとらわれて心配になってくる。
しかし、たまにトラックとすれ違うことで国道であることを確証できた。
水溜りでは粘土質の道路で滑って転びそうになったり、真新しいズック靴も、まだ新しいバイクも、もう数年間使用したように汚れてしまった。
そうこうして福島市内にたどり着いたのは、朝の7時30分だった。
米沢から3時間もかかり、これは僕の予想を大きく上回っていた。
もう倒れこみそうなくらい疲れを感じていた。
福島駅前に着くと、登山服姿の人が多く目に付き、やはり夏休みの季節であることを感じさせた。
僕はさっそくガソリンスタンドを探し回り、ガソリンを満タンにするとともに、汚れてしまったバイクの土や泥を洗い落とした。
ここから宇都宮までは国道4号線である。
天気は曇りだが、走っていてもほのかに温かさが感じられる。
二本松市内の食堂で朝食に玉子丼を食べたが、とてもまずかった。
それに白河に入ったあたりから心配していた雨が降りだした。
それもどしゃ降りだった。
雨宿りする間もなく、全身ずぶぬれになってしまった。
ここにきて、僕は雨具を持ってきてないことに気づいたのだった。
あんなに丹念に調べたのに・・・と、僕は泣きたくなった。
どうせ濡れたのだからと、僕はそのまま走り続けた。
行き交うトラックや自動車の数も山形県内とはかなり違うのだった。
汚れたGパンはすっかりきれいになったのだが、雨が顔に強くぶつかり、眼を開けてられないくらいに痛い。
また、衣服の上からしみこんできた雨水が、胸の辺りで合流し、川のようになってパンツの中に流れ込んでいくのが分かった。
体は水冷空冷の両冷却装置により、僕の体は完全に冷え切っていた。
眠気や疲れもあり、頭もずきずきと痛いのだった。
(次回へ)
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