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     コミットメント

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投稿者 スレッド
monoru
投稿日時: 2009-11-22 8:44
管理人
登録日: 2008-4-5
居住地:
投稿: 9
コミットメント
コミットメント(commitment)の和訳は「約束、誓約、公約、確約」などであるが、大きな意味でこの単語は使われている。

単に約束というとプロミス(promise)が一般的だが、「契約」という意味にも使われるこの単語とコミットメントの違いは、プロミスには「見込みがある・・」という意味合いがあるのに対して、コミットメントには「誓約や確約」という意味もあるようにもっと強い意味を持つ。

このコミットメントの単語の裏には、「戦わずして勝つ原理(相手にいかに信じてもらうか)」が働いている。

よく引き合いに出されるのは、1521年に新世界探検の任を受けて船出したスペインのコルテス提督の話が有名だ。
コルテスが今のメキシコにあたるアステカ帝国征服にあたったとき、相手に信じてもらうために、乗ってきた船をすべて焼き払ってみせたという話がある。
コミットメントの裏には、こういった強い「約束」という意味があるのだ。

といいながら、また私の16歳の夏のバイク一人旅の続編を記させていただきますね。

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「一人ぼっちの旅行-6」

(写真は、46年前の芦ノ湖畔にある箱根神社鳥居脇でのキャンプ)



【思わぬ事故】
8月4日(日)朝起きられないほど頭が重い。
ここ伊豆半島の入り口にある有料キャンプ場で昨夜キャンプをしたのだったが、朝になってみると身体が動かないのだった。
しかしここにもう一泊することは出来ないと思い、無理してシュラフから身を乗り出した。
昨夜の残り飯を食べてから出発の準備にとりかかった。
今日の予定地、伊豆半島先端の南伊豆への地図確認と財布の中身を調べているうちに、大変なことに気づく。
財布の中身の金額を何度も数える。
残金は合計で1400円しかないのだった。
上山の家を出るときは3800円あったのが、今は1400円しかない。
これでは伊豆半島一周などできるはずもないではないか。
残金を考えると伊豆半島どころか、富士登山や、帰りの甲信越地方廻りもあきらめるしかなかった。

1400円では、家へ直行する資金しか手元にない状態というしかなかった。
身体もきついが、金の無いのが泣くに泣けないほど悔しい。
これまで上山を出てから698キロの距離を走ってきていた。
しかたなく計画を大幅に変更し、この地点で折り返しを決意する。
しかし、ここまで来て富士山を見ずに帰るのはどうしても許せない。
そこで40キロ先にある箱根から富士山を眺め、芦ノ湖畔で一泊してから明日東京を抜けて上山へ向かうことに決めた。

キャンプ場を出て、昨日の道を逆戻りし、熱海から箱根の十国峠へと向かった。
十国峠へ着いて、そこが有料道路だとは知らなかった。
しかしここまで来て引き返すのもしゃくだったので、しかたなく150円を払って通る。150円の支出は大きく、美しい風景も金が消え失せたショックからあまり美しいとは感じられなかった。
それでも芦ノ湖が見えたときは、「きれいだなぁ〜」と声をもらした。
そして間もなく箱根の元箱根町に入った。
芦ノ湖では水上スキーの大会が開かれているのか、町の通りもにぎやかだが、スピーカーからの大きな音声やアナウンスが響き渡ってくる。
僕はガソリンスタンドを見つけると、タイヤの空気を点検してからキャンプ予定地の湖尻へと向かってバイクを走らせた。

箱根神社のカーブにさしかかったときである。
停まっていたバスを追い越したとき、バスのかげからタクシーが急に飛び出してきたのだった。
「あっ」と思ったがあまりの急な出来事にブレーキをかけられないまま40キロのスピードでタクシーにぶつかってしまった。
8メートルは飛ばされた僕は、予想もしなかった事故に何がなんなのかも分からなかった。
反射的に立ち上がったが足を強くぶったのか感覚がなく、しりもちをついてしまった。
水上スキーの観客だろうか、 知らぬ間におおぜいの人が事故現場へと向かって集まってきた。
そんな中、おみやげ店から出てきたおじさんとおばさんが僕の両脇を抱えて店の方へ運んでくれた。
おばさんは「大丈夫か?」と何度も聞く。
僕もどうなのだろうかと身体を点検すると、運がよかったのか足を強打しただけであとはかすり傷だけだった。
心配するおじさんおばさんをよそに、僕は足を引きずりながらバイクが心配で道路に出て行く。
「バイク、バイク、・・・」
店の方が連絡してくれたのか、いつの間にか警察の人も来ていた。
僕はおおぜいの見学者をかきわけて壊れて横たわるバイクの姿を眼にする。
そこにはハンドルが折れ曲がり、吹き飛んだヘッドライト、垂れ下がったブレーキレバーのあわれなバイクが横たわっていた。
あわれな相棒の姿に、この旅行の柱となってがんばってきたことを思うと、悲しみと同時に感謝の気持ちも心の中にわきおこってきた。
「ゴメンよ、・・・」と僕は横たわるバイクに謝った。
それと「ちきしょう、家に帰れないのか」という怒りの気持ちもわきおこった。

近くの駐在所に連れて行かれた僕は、色々と質問され調べられた。
そんな中、僕は家の人に連絡しないように頼んだ。
「気持ちは分かるが、そうはいかないよ」とある警官はいった。
僕はバイクは壊れたし、修理の金なんて持ってないし、そのことを思うと落ち込むしかなかった。
そのことを警察の人に相談すると、ある警察官が知り合いの修理工場へ電話をかけてくれた。
警察官は話をつけてくれたのか、しばらくしてトラックでバイクを引き取りに来た。
修理工場の人は壊れたバイクを見て、修理には3日か4日かかるといった。
修理代金は後払いでOKしてくれたのだった。
その間、僕は近くの芦ノ湖畔でキャンプすることになった。
トラックの荷台に放り込まれ、運ばれていくバイクの姿に僕は胸が痛んだのだった。

キャンプ地に選んだのは箱根神社の境内になっている芦ノ湖畔で、ちょうど箱根神社の鳥居がある近くの平坦地である。
米はまだ1升2合ほどあり、できるだけ金を使わずに米だけで過ごすことに決めた。
事故の悲惨さとは別に、夜の芦ノ湖はまた素晴らしく、その湖畔を走る遊覧船にはいろんな色の電球が飾り付けてあり船の姿をくっきりと浮かび上がらせている。
その船からはハワイアンのメロディが僕のテントにまで届いてきた。
僕は寂しさからできるだけ焚き火をたいた。
箱根の夜は寒く、服を着込みシュラフに入ってから、眠る前に無事に郷里の上山へ帰れることを祈った。

翌日(8月5日)眼が覚めてから、バイクの無い自分の無力さが情けなく、落ち込む。
家を出てからまだ5日なのに、もう1ヶ月も経ったかのような気持ちにもなる。
今ごろ家では何をしているのだろう?
僕を許してくれるだろうか?
いろんなことが脳裏をよぎった。
日中僕は箱根神社に無事帰還できることを祈り、暇つぶしに何度も神社境内を行ったり来たりして過ごした。
昼は多勢の人が箱根神社の参拝に訪れてにぎわう。
夜になると遊覧船の他に花火も上がり、その火花が芦ノ湖の水面に反射してとてもきれいだった。

8月6日、身体がやせてきたのが自分でも分かった。
それに、一人でいることはとても辛い。
もう箱根神社に遊ぶのに飽きた僕は、近間にキャンプしている人達に自分の方から近寄って話しかけるようにした。
それが良かったのか、キャンプを終えて帰る人達が、もう必要ないからといって缶詰やらソーセージやら米までも僕に置いていくのである。
そして友人になった一人とは焚き火を焚きながら夜遅くまでお互いの未来の夢を語り合ったりもした。
一人でここまで来た僕のことを皆驚くと同時に励ましてもくれた。

8月7日は駐在所の家でカレーをごちそうになった。
警察官の方も親切で、修理工場に電話をしてバイクの修理具合を確認してくれた。
「明日の夕方までに修理が終わるそうだよ」といった。
僕は飛び上がるほどの嬉しさの中で、不思議な力がみなぎっていくのを感じた。
その日は、隣にテントを建てたアメリカ人一家とも仲良くなり、夕食のバーベキューに招待されたりもした。僕は映画の中でしか見たことのないバーベキューの味を初めて知った。
翌8月8日、今日バイクが直ってくると思うと朝から落ち着かなかった。
午後になると待ちきれずに駐在所で修理工場の場所を聞き、そこまで歩いて行くことにした。
キャンプの場所から歩いて1時間くらいの場所にその修理工場はあった。
僕は挨拶もそこそこに、バイクの姿を探した。
ガレージの中の隅に置かれた相棒のバイクは、まだ直ったという姿ではなく、応急処置がほどこされたという状態で放置されているのだった。
出てきた修理工場の人に、「本当に夕方までに直るんですか?」と僕は悲痛な声で聞いた。
「部品が届かなくってね、困ったな・・・」
と修理工場の人はいった。
僕は「何とかできないでしょうか?」とまた問いかけた。
2,3人の修理工の人達が集まり、何やらバイクを触りながらしゃべり合っている。
そのうち、先ほどの人が僕の方にやってきて、
「何とか走れるようには出来そうだから、あと3時間ほど待ってくれるか?」という。
「はい、いいです」と僕はこたえて、運んであげるから帰ってていいよというのを、
「いや、直るまでここで待たせてもらいます」といって、修理の進行状況を眺めさせてもらった。
結局5時間ほどかかって、バイクの修理が完了した。
「無理しないで走ってよ」という声を背に、僕はバイクにまたがって元箱根町の駐在所さんの場所まで戻った。
その姿を眼にしたお巡りさんが出てきて、バイクをしげしげと眺め回した。
直ったといっても、その傷跡は痛々しく、応急処置の状態であることは見ればすぐに分かる。
「それでいつ帰るの?」と僕にきく。
「はい、これから準備して今夜出発します」というと、
「明日のあかるい時間にした方がいいんじゃないのか」といった。
「いや、今夜にでも帰りたいんです」と僕がいうと、
「そうか、じゃ、晩ご飯を家で食べてから出発しろ」といった。
僕は「はい」といって、バイクでキャンプ場所まで走り、急いでテントをたたんで後片付けをはじめた。

(次号へ)
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